きぼうのでんき2025年11月号

地域でつくり、使い、つながる「ご当地電力」

埼玉県小川町。ここに私たちに電気を供給してくれている、小さな市民ソーラー発電所があります。地域住民の生活圏内に溶け込むように設置されたソーラーパネルは、市民が出資して設立したもの。そのめざす先はなんでしょうか。運営母体の「NPOおがわ町自然エネルギーファーム」代表の桜井さんにお話をうかがいました。

桜井薫さん

NPO法人 おがわ町自然エネルギーファーム(埼玉県)
代表 桜井薫さん

おがわ町市民協同発電所
NPO法人おがわ町自然エネルギーファーム(埼玉県比企郡小川町)

1 おがわ町市民協同蟹沢発電所
買電開始:2014年2月 契約電力:17.2kW

2 おがわ町市民協同鬼ヶ谷発電所
買電開始:2015年4月 契約電力:20.4kW

鉄腕アトムへの憧れ、抱き始めた疑問

「鉄腕アトムが大好きな少年で、『いつか僕も原子力エネルギーで宇宙へ飛び出すんだ!』って、夢みて育ちました」

声の主は、NPOおがわ町自然エネルギーファーム(通称ONEF)の代表の桜井薫さん。夢にまい進した桜井さんは大学で原子力を学び始めますが、そこで衝撃的な光景を目にします。

「原子力の実験をしていた先輩が寮に帰ってくると、毎日ゲーゲー吐くんです。さらに研究室からの排水をめぐっては、地域住民の方ともめている。そして女川原発への反対運動※1が起きていて『これはどういうことだ?』と、思い始めました」

その疑いは学べば学ぶほどに濃くなり、ついに桜井さんは原子力に背を向けたのでした。当時の原子力はまさに未来の申し子。いぶかしがる方が不思議に思われる時代でしたが…

「『原発の電気を使うな~!』って電気料金の不払い運動※2を支えたり、原発反対!! ってビラをまいて、社会に訴えていましたよ」

そう訴える桜井さんの暮らしにも電気は必要。そこには原発生まれの電気も含まれてしまう…。若き日の桜井さんは大きな矛盾を抱えていました。そんな桜井さんの転換点は90年代、パルシステム組合員との出会いでした。

「組合員さんといっしょに太陽電池を作りました。太陽電池は、太陽光で充電できる大きな電池と思ってもらえばいいかな。太陽光パネルの元になる部品をハンダでつないで、ガラスのパネルで覆ってバッテリーにつないで…と、ほとんど手作りでした」

太陽電池は桜井さんにとって救済でもありました。原子力の恐ろしさを体験していながら、そこから生まれる電気も使わざるを得ない構造から、解放してくれる技術だったからです。太陽電池は海外へも飛び出しました。

「日本企業がインドネシアに原発を作る計画があったんです。現地の反原発団体に、『こんな技術があるよ』って太陽電池を持ち込んで教えました。同じようなことをアフリカでもやりましたね」

桜井さんが技術を教えた国々では、住民自らの手で太陽光パネルを作るようになりました。原発に対してNOを突きつけたと同時に、世界のみんなが同じ技術、同じ部品を使って太陽電池を作るようになれば、製造コストが下がり、電気が平等にみんなのものになるのではないかという期待がありました。

手作りの太陽電池製作

太陽電池製作の様子

組合員と一緒に手作りで太陽電池を製作する桜井さん。

有機農業、エネルギー…暮らし方を考え続ける町

埼玉県小川町は、日本における有機農業の第一人者・故 金子美登(よしのり)さんの拠点としても知られています。今でこそ目にすることが増えた有機農産物ですが、黎明期の有機農家は相当な変わり者として見られることが常でした。有機農家が模索していたことのひとつは、今の言葉で言うなら持続可能性です。ひとつの場所で作物を作り、土と命を継いでいける農業技術と生き方の模索は、電気の自給自足とも通じるところがあります。

「太陽光、風車、メタンガスなどで発電を試して、どれがこの地に適しているのか試行錯誤しましたよ」

"自分たちの暮らしを自分たちで考える"という意識は、小川町で受け継がれていきます。「2000年頃に、地球温暖化対策やエネルギーに関する施策をまとめた『小川町地域新エネルギービジョン』はひとつの好例です。約30人の市民が隔週で集まり、2年間かけて作り上げました」。

こうした意識はパルシステムでんきの発電産地としても活躍する、市民発電所にもつながります。

「2カ所のソーラー発電所は市民の出資で作り、管理も市民で行ってきました。10年目の今年、出資額も還元できそうですが目的は電気を作るだけではありません。私たちが使うことなのです」

「使いたい電気が、使えない」そんな現状を変えよう!

電気を作ることと、売ることは別の事業です。どれだけ理想的な方法で電気を作っても、その電気だけを売る会社がなければ、使いたくても使えません。しかしそれをクリアさえすれば…。桜井さんの未来予想図は現実味を帯びてきます。

「想定は1万人が暮らす区域にひとつ発電所があるくらい。この区域内で発電と売電の事業が成立すれば、電気の自給自足ができるようになります。この達成がステップ1。発電方法は何だっていい。私たちはソーラー発電ですが、森があればバイオマス、川があれば水力、家畜がいればメタンガスなど、地域の資源に合わせればよいのです」

とはいえ、夜にソーラーは発電できず、川の水が減っても水力はやはり発電はできません。

「そう、だからステップ1を達成した複数の区域が、電気を融通し合うのです。晴天の昼間はソーラーから生まれた電気を配り、夜はほかの区域のバイオマス発電などから給電してもらうといったイメージ。これがステップ2です」

いわばご当地電力同士のコラボレーション。これなら生活家電の利便性を確保しつつ、環境負荷を下げられる可能性を感じます。経済的なメリットも大きいと桜井さんは続けます。

「小川町では、電気代として年間30億円ほどがほかの地域に流出しています。これが地域で循環できるようになるのです」

じつはこの話、夢物語ではありません。有志の町民チーム「小川地域電力プロジェクト(通称おでん)※3」として、すでにスタートしています。現在は小川町近辺で生まれた電気を出荷している「グリーンピープルズパワー」の代理店として活動中ですが、目標は地域新電力会社の設立。これが叶えば、小川町を軸にした電気の自給自足が完成するのです。

市民出資による発電所

おがわ町市民協同発電所

市民の出資で建設された「おがわ町市民協同発電所」。地域に溶け込むように設置されている。

電気がもたらす"自由"

地域の資源が地域のために活用されるしくみができ上がれば、大企業の動向に過度にふり回されることのない暮らしと社会が実現します。

「例えば介護タクシーのような社会的機能をもった事業が、採算が取れないからと撤退されては、それに頼らざるを得ない利用者はどうなるでしょう? だけど自立した資源を持っていたら、地域のみんなが必要とする事業にお金が使えるようになる。電気があることで、地域にひとつ安心が生まれるんです」

電気は今や、食べ物の次くらいに生活に必要な資源。それを取り戻すことは、自由をひとつ手に入れることに近い意味があります。

「だから私たちにとって地域電力は希望なんです」

桜井さんのまっすぐな情熱は、少年のころから変わりません。

※1 女川原子力発電所(宮城県女川町、石巻市)の建設を巡り、1960年代から70年代にかけて、地元議会、住民、漁協などが東北電力に対して反対運動を起こします。原子炉設置許可が下りてからも反対運動は続き、一進一退はありながら反対を押し切って1979年に着工。1983年に運転が開始されました。

※2 国のエネルギー政策や、電力会社に抗議するための手段として古くは昭和初期から見られた運動。代表的な方法として、電気料金の支払いをあえて1円少なく振り込み、振り込み用紙の通信欄を利用して意見を述べる手法があります。

※3 小川地域電力プロジェクト(おでん)は、電気小売事業者であり、パルシステムでんきとは同業他社に当たります。しかし、再生可能エネルギーを中心とした社会への思いは共通しており、競合ではなく、余った電気を売買したり、不足しそうなときは融通し合ったりと、協力する関係を目指しています。