地域の財産を、電気に変える。
水のない荒野だった那須
なだらかな丘陵が一面に広がる那須野ヶ原。レジャーやリゾート地としても知られるとともに、豊かな農産地帯として、アスパラガスなどの高原野菜をはじめ、ネギ、ナス、トマト、イチゴのほか、稲作も営まれています。しかしこの土地が、かつては「鳥も通わぬ」と言われるほどの広大な荒野だったと聞いてもにわかに信じられないかもしれません。
と語るのは、那須野ヶ原土地改良区連合の専務理事、星野恵美子さん。一帯は砂礫層という砂利の層でできているため、川の水が地下へ潜ってしまう伏流水となり、地表に水が残らなかったのです。
「疏水」の完成で発展した農業
転機となったのは明治時代に入ってから。1885年(明治18年)、わずか5ヶ月という驚異的な短期間で「那須疏水」の本線が完成します。「疏水」とは、川や湖などの水を人工的に引き込み、別の場所へ流すための水路のこと。農業用水や生活用水、工業用水、そして発電(水力発電)などその用途はさまざまです。せっかく疏水を作っても砂礫層のままでは水が一帯に行き渡らないことから、水路の底を粘土で固めるなどの苦労があったそうです。
しかし明治の疏水だけでは、扇状地全体を潤すには不十分でした。戦後の昭和40年代に、さらなる安定した水利用を目指して大規模な再開発が行われます。那珂川水系で最大級のダムである深山ダムをはじめ、網の目のように張り巡らされた地下のパイプラインもこのとき整備されました。
那須疏水の歴史的遺産
「那須疏水」の建造を後世に伝える記念碑
「日本遺産」や「世界かんがい施設遺産」にも認定されている那須疏水は、当時のレンガ造りの構造物を今も見学することができる
総距離330kmの水路が生み出す電気
1992年に国営事業による初の小水力発電所として運転を開始した那須野ヶ原土地改良区。その源は、「水の落差」にあります。扇頂部から扇央部までの距離が約30km、標高差が約480mと急峻な勾配を持つ一帯で、那須疏水は実に、31路線に計675か所もの落差工(段差)が存在。最大の「新青木発電所」では44mもの大きな落差を活かし、500kW(一般家庭約1,000世帯分相当)を生みだしています。
発電された電気は、水路を管理するためのポンプや施設の電力としても使われ、しかも売電収益によって、農家が支払う「水路の維持費(賦課金)」も大幅に引き下げられているといいます。水不足だった時代に苦労して作った水路が、今は農家の家計を助けてもいます。
戸田調整池
那須野ヶ原の用水を一時貯留し、灌漑の安定供給や洪水調整のために使われる貯水池(写真は戸田調整池)。
発電産地の一員として交流をさらに!
「自分たちのエネルギーを自分たちで作り、地域を自立させたい」と立ち上げた思いは、「自然との共生」をめざすことに他なりませんでした。星野さんはそれを「もはやこれって使命なんだ、って」と言います。パルシステムでんきの発電産地として仲間入りしてからは、星野さんたちは、パルシステムの組合員や役職員を招いた見学会の開催にも積極的に取り組んでいます。
パルシステム東京による見学会の様子
見学会の度に、星野さんは「食べ物と電気はつながっている」ことを伝えようと、語気は熱を帯びる(写真はパルシステム東京による見学会の様子)。
事務局長の後藤伸一さん
「"水を求めて"は先人の労苦を偲び、バトンを受け継ぐ者の誰もが心に留めている大切な言葉です」と事務局長の後藤伸一さん。